用事は1時間ほどで済んだのでゆっくりと帰って来ました。
喜多方は今、喜多方らーめんで有名になりましたが、僕が初めてここに来た時は蔵の町として有名でした。
初めて来たのは1983年ころかな~・・、やはり出張で来ました、それも大変な現場の応援出張です。
そのころ僕は電気工事の会社の社員でしたが、なぜか制御回路が得意と言う事もあって喜多方の市民会館?の現場の緊急対策で派遣されました。
電気工事屋さん・・つまり僕が居た会社の外注さんが沢山の制御線をしるしも付けずに配線してしまったらしく、どこにどの線があるか全くわからない状態になってました。
あっちこっちにある制御盤と色んな装置とを繋ぐ配線がわけ分からなくなっていたのです。
それを、1週間で配線を繋いで、制御回路の間違いも修正して終わらせて・・・・・
それは僕にとって大した仕事では無く、むしろ楽しい仕事でしたが、辛かったのは夜の宿・・十人以上も同じ部屋で寝るのです。。煩いし自由にならんし・・嫌だったなぁ~・・
終わるとその足で同じような状態の郡山市の現場に行かされて・・雑魚部屋で更に一週間。。
この数カ月後に僕は会社を辞めました。
僕は・・神経質なんだな。。。みんなそう見ないケド。
と言う想い出も有り、喜多方は特別な場所でもあります。
外観は新しくなっていたが中は以前のまま、普通の部屋が客間。。これが売りなんだろね。
味には人それぞれ好みが有ると思うのですが、僕は久しぶりに食べたここのラーメンが美味しいとは思わなかった。
食べ終わって暫らく口の中に残る味の素のような味・・あまり好きでは無い。
「坂内食堂」のあっさり塩味が好きだな・・歳か・・
それにしても磐梯山が綺麗だったなぁ~。
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